2010.3.24
この公式サイトに新設した『アルバム』に、アリゾナ州セドナに在住の絵本作家、ナナさんの写真を載せましたら、「素敵な写真ですね」と何人かの方からコメントを頂きました。 ナナさん曰く、「子供たちの目がとてもきれいでかわいくて、みんなのマネをして自分の帽子をさかさにしてかぶったら、子供たちが笑ってくれて」...なんて、ナナさんらしいですね。
そんなナナさんが、あるとき僕にこう言ったことがあります。 「私の父って変わってるの。本業は技術者なんだけど、人に頼まれていろんな会社を再建したり、小説なんかも書いたりして。直木賞候補にも何度かなったこともあるの」
ナナさんのお父さん、鈴木宣雄さんは昭和7年のお生まれだから、現在78歳。奥様と一緒にセドナに住んでいます。 ナナさんからお父さんのことを聞けば聞くほど、とにかく驚かされます。 まずは、すごい特許をたくさん持っている超一流の技術者。本当に意外なのですが、中学しか出ておらず、大学や研究機関で英知を養った経歴は全くないのに、すべて独学でとんでもない発明をしています。
たとえば、誰もがお世話になったことがあるカメラの電子シャッター。あれを発明したのは、実はナナさんのお父さんです。ひょえ~! テレビが出始めた頃、大手メーカーもまだ作っていない大型テレビを手作りで製作して、お金持ち相手に売りまくってもうけていたのは、まだ十代の若き鈴木宣雄さんでした。 最近、洗剤のいらない洗濯機が売り出されていますが、その基本技術をずーっと昔に鈴木さんが確立していました。そのほか、テープレコーダーの磁気ヘッドの改良とか、テープを一定の強度で巻き取る回転装置やピクチャーサーチなど、ナナさんの“変わったお父さん”は、百件以上の国際特許を持つ大発明家でした。
僕が驚いたのは、そのことだけではありません。ナナさんが言っていた小説のほうも、60歳を過ぎてから書いた処女作が文芸春秋社から刊行され、直木賞候補にもノミネートされました。 とても発明家の余技とは思えません。現在も長編小説を執筆中で、近く出版されるそうです。乾竜三というペンネームなので、「ああ、読んだことがある」という方もきっとおられると思います。
驚くことはまだあります。 経営者としても大活躍されていて、これまでに何社も傾きかかった会社を再建した実績を持ちます。鈴木宣雄さんは、技術者、作家、経営者の一人三役をこなして、そのどれでも一流の実績を挙げてこられた方でした。
でも、僕が鈴木宣雄さんという人物に心底興味を抱いたのは、数年前、ナナさんから届いた一通のメールでした。
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五日市さま
セドナの両親のもとへ戻ってしばらくたちますが、この二ヶ月間ほど父と心から話したことはありません。本当にいろいろなことを聞きました。 そして今日は、父が経営者としての話というか、「情けは人の為ならず」ということの例として、とても心に残る話をしてくれました。多くの企業で講演される五日市さんにとっても興味深い話かもしれないと思い、ぜひ読んでいただければと思います。 こんな話をすると、自慢話のように聞こえるかもしれんが、まあ、人生の経験談として話そう、と・・・。
父が上海でF社という日中合弁会社の社長を頼まれていたときのこと。中国人の部下がこう言ったそうです。 「社長は本物の経営者ですね」と。 父は「私はプロの技術者ではあるけれども、経営者としてアマチュアだよ」と答え、「でも、何でそう思うんだい?」と尋ねたそうです。 すると彼は、「従業員がみんな自然に社長を尊敬するようになるんです。社長は自分でお気づきじゃないでしょう」と言いました。 そして「こういうことだ」と話してくれました。 あるとき、従業員の若い女性が仕事の帰り道にトラックにひかれ、ひどい重傷を負いました。父は即、上海で一番良い医者のいる外国人専用の病院を手配し、入院させ、会社がその費用をすべてもちました。彼女の両親はとても感謝し、彼女が全快したとき、父を食事に招待したいと言ってきました。
父は少し考えましたが、全快祝いとして、彼女とその両親を逆に招待することにしました。彼らはとても喜んで来てくれましたが、その時、父はこう言いました。 「ご両親もご安心なさったでしょう。でも娘さんが回復して一番嬉しいのは私でも、あなた方でもありませんよ。誰だと思いますか?・・・それは娘さんをひいてしまったトラックの運転手だと思いますよ」 そう言われて、ご両親はとても驚いたそうです。 「そんなことはない。あいつは、自分ではなく娘の方が悪かったと何度も言い放ったんだ」 「でも、それは彼に罪悪感があり、恐れていたからですよ。じつは、ここにその運転手を呼んであるんです。会ってやってくれませんか」と父は言い、彼を呼びました。 彼は姿を現すと、すまなそうに自分の非を認め、心から謝罪したそうです。そして父はこう言いました。 「これでお互い気が楽になったでしょう。これが本当の全快祝いですよ」
そういうことが、彼女の口から他の従業員に伝わっていったそうです。 やがて、彼は父の会社でトラックの運転手になりました。その当時、運転手による品物の横流しなどがあって困っていたようですが、彼は父に忠誠を尽くし、そういうことを決してしなかったそうです。 それから、その当時、中国の労働者のランチというのは、せいぜい、ご飯と白菜の炒め物くらいだったそうですが、父は一流のコックを雇い、八品くらいを用意しました。そして、従業員たちと同じ場所で食べようとしましたが、すぐに社長の席というのを別に作られてしまいました。 私はみんなと一緒に食べたいのだが、と言うと、それが中国式の敬意の表し方だというので、それならと一人ずつ、社長のテーブルに従業員を同席させることにしたそうです。 最初に父が呼んだのは、十六歳の女工さんでした。彼女はとても緊張していたので、父が中国語でジョークを言ったら、ゲラゲラ笑いだしたそうです。冗談がおかしかったのではなく、父の発音がおかしかったから。 父はそれがわかっていたので、それじゃ、君が正しい発音を教えてくれるかね? といって、彼女に教えてもらいました。 彼女は自分が社長に何か教えられた、というので、とても嬉しかったらしく、その話も伝わって、だんだん積極的に父とランチを一緒にしたいという従業員が増え、一人ずつが二人になり、五人になり、そして結局、みんなで一緒に食べるようになったそうです。 そして父は、「私が偉いわけでもなんでもない。ただ君たちより歳をとっているから経験がある、ということに過ぎない。君たちだって、私なんかを超える大きな可能性を持っているんだよ」ということを、ふだん接することがない若い従業員たちとランチをともにしながら、たびたび話したそうです。
「そういうことをしているから、従業員から尊敬されるんですよ、だから社長は経営者として本物なんです」 とその部下が言ったので、父はこう答えたそうです。 「そりゃ、勘違いしないでほしいな。経営者というのは、あくまで、どれだけ利益を上げることができるか、ということを追求して、その結果を評価されるのであって、私はそういったことを、経営者としてではなく、一人の人間としてやったことなんだ」 それは、父が若い頃、「人として平等に扱ってもらえず、とてもつらい思いをしたから、自分が平等に扱ってもらいたいと思ったことをしているだけなんだ」と。
しかし、こういうことも言えると思う、と父は続けて言いました。 「結局、人としての信頼と尊敬というものを従業員が感じてくれれば、経営が楽になる。今の目標は○○なんだが、どうやったらできるか、みんなで考えてほしい、というだけですべてが動き出す」 普通は半年かかると言われていたことが、二週間で動き出したそうです。 その時、父のプロジェクトは『上海の奇跡』と言われたそうです。
ナナ
このメールを読んで、僕はとても胸をうたれました。ナナさんのお父さん、本当に素晴らしい人だな、と。
でも、この話はここで終わらないんですね。翌日、またナナさんから以下のメールが届きました。
************* 五日市さんへ
その後日談です。 じつは、父はその会社をクビになりました。 父は、ひどく赤字だったその会社の建て直しのために雇われ、一年で見事に業績を回復させました。しかし、父の常識はずれの経営手法は、社内の上層部の嫉妬を買い、ブラックメールが飛び交い、ついにはクビになったそうです。 しかし、父が去る時、従業員全員が少しずつお金を出しあい、父に時計を買ってくれ、道に並び、父の姿が見えなくなるまで、ずっと手をふって見送ってくれたそうです。 交通事故にあった女の子からは、今、父の書斎に飾ってある帆船をもらったそうです。人生の新しい出発が順風満帆であるように、という願いが込められて。
そのF社は、父が辞めてわずか一年半で倒産。人心が離れてしまい、うまくいかなかったそうです。嫉妬って怖いですね。 父は「時には人生を笑い飛ばすことが大事だぞ。笑っていれば、何とかなるもんだ」と励ましてくれます。そして、「それは、五日市さんがいつも言うことと共通しているかもしれないな」と言っておりました。 ナナ
これはすごい話だと思いました。な、何者だ、この人。こんなことをされたら、中国人だけじゃなく、日本人だって西洋人だって、みんな感激して心酔してついてくる。 僕はナナさんのメールにあった、「父が若い頃、人として平等に扱ってもらえず、とてもつらい思いをしたから」というくだりが気になりました。できることなら、ぜひ一度お会いして話をうかがいたい・・・その思いが日ごとに強くなりました。
そしてとうとう、その日がやってきました。僕はアメリカに飛び、セドナを訪問。鈴木さんのご自宅でお会いすることができました。
いや~、本当にいろいろなお話を聞かせてもらいました。 その内容は、多くのメッセージ性を含んでいました。とくに、いろんな悩みを抱えて、これからどう生きていけばいいのか...、かつての僕のように不幸の連鎖を絵に描いたような日々をすごしている方には聞かせたいお話ばかりでした。
「私の人生というのは、いま振り返ってみると、とても貧乏で、さげすまされたような状態が子供のときに長く続いたのですよ。父無し子(ててなしご)と言われたり、時にはいろんな侮辱言葉も浴びせられて。その中で力強く生き抜いていくためには何が必要だったか・・・」
その必要なものを僕はしっかりメモにとり、心にも刻んできました。いつか、こうした鈴木さんの金言を一冊の本にまとめられたらいいなと思います。それを読んでくださった方に、鈴木さんの言葉や生き様から多くのヒントをつかんでいただきたいです。物事がちっともうまくいかず、人間関係で悩んでいたり、あるいは将来に不安を持っている方などには、「そうか、そうだったのか!」と思わず膝を打ってしまうような話がいっぱいです。